2004年 12月 10日
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」他/ノリントン指揮 |
2度目の来日公演も無事に終了し、すっかり黄金期を迎えた感のあるノリントン/シュトゥットガルト放送響。オリジナル楽器勢による古典派演奏への進出が始まった頃、ホグウッド、ブリュッヘン、ピノック、グッドマンあたりと比べると、明らかに胡散臭かったのが(失礼)このノリントン。手兵だったロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(LCP)が解散する際も随分揉めたようですし、彼が「チェリビダッケのオーケストラ」であったシュトゥットガルト放送響の首席指揮者に就任した、と聞いたときには耳を疑ったものです。しかしながら、彼は自分のスタイルを完全にオーケストラに植え付け、かつ人間的にもオケからの信頼を得ることに成功しているようですね。
レパートリーもかなり近代まで広げてきており、来日公演ではマーラーやヴォーン=ウィリアムズを、そして今回の新譜ではチャイコフスキーを取り上げるなど、オリジナル楽器奏法を適度に導入しつつ、現代オーケストラの美点を生かした、新鮮な演奏を聴かせ続けています。彼は以前、LCP時代にもブルックナーやワーグナーを録音しており、そこではオリジナル楽器オーケストラでそのままでロマン派の楽曲に挑む、という大胆な試みをしていましたが、近年のシュトゥットガルト放送響との演奏では、この点のバランス取りが巧みで、新鮮ながらもLCP時代ほどは抵抗感のない、自然な演奏が増えてきているように思われます。
今回のチャイコフスキーも、弦のビブラート排除は徹底されているものの、オーケストラ編成は通常の人数に近いと思われます。ティンパニや金管もソリッドな響きを出してはいますが、古典派の楽曲をやるときのような過激さはなく、一般的な演奏の量感に近いものとなっています。そういった意味で、最も抵抗なく楽しめるのは第1楽章でしょう。苦悩や闘争、激情、爆発といった精神的要素よりも、むしろこの曲の運動性を前面に引き出した爽快な演奏で、透明な響きが耳に心地よく飛び込んできます。
第2、第3楽章は意外と大人しく、弦セクションのノン・ビブラートによる透明感以外は、これといって個性的な部分は見られません。特に第3楽章については、ここを全体のクライマックスに設定する指揮者が多い中で、ノリントンは遅めのテンポで淡泊な表現に終始しており、むしろ第2楽章の延長線上にある間奏曲的な位置付けと考えているようです。個人的には、金管とティンパニを炸裂させまくったお祭り騒ぎ的な演奏を期待していたので、ちょっと肩すかしを食らった感もあります。
しかしそこはノリントン、終楽章はかなりショッキングな出来になっており、オリジナル楽器奏法を駆使したノリントン独自の個性が徹底的に発揮されています。過去の名演群の激しい慟哭とは別世界、異次元とさえいえるような音世界で、弦のノン・ビブラートと剛直な金管パートの織りなす音響は、この世の終末のさらに先を見据えてしまったような虚無感に支配されています。特にクライマックス後の弦の第1主題再現は、旋律をぶつ切りにしてスタッカート気味に奏させており、この部分には度肝を抜かれました。
カップリングは、ラインスドルフ編曲によるワーグナー「パルジファル」組曲。ノリントンは既にLCPとワーグナーの管弦楽曲集を録音していたので、ある程度免疫が付いていましたが、やはり速いテンポとすっきりした音響で、さらりと流れるような音楽作りが印象的です。ただ、テンポは速いものの、間をきっちりとっているため、音楽の流れに無理がなく、意外と素直に聴くことができました。
この組曲版は、ラインスドルフ自身の指揮による録音もあり、そちらでは彼らしい堅実な表現が聴けるものの、オーケストラの響きや録音がやや硬く、個人的には今後この編曲を聴く際はノリントン盤の方をを取り出すことになりそうです。
* Hanssler/CD 93.119
* チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74「悲愴」,ワーグナー(ラインスドルフ編):「パルジファル」より交響的ハイライト
* サー・ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
* 録音:2004年3月10~12日 シュトゥットガルト、リーダーハレ・ベートーヴェンザール(チャイコフスキー),2004年7月10~11日 ルートヴィヒスブルク城音楽祭、テアーターザール(ワーグナー)(いずれもライブ)
レパートリーもかなり近代まで広げてきており、来日公演ではマーラーやヴォーン=ウィリアムズを、そして今回の新譜ではチャイコフスキーを取り上げるなど、オリジナル楽器奏法を適度に導入しつつ、現代オーケストラの美点を生かした、新鮮な演奏を聴かせ続けています。彼は以前、LCP時代にもブルックナーやワーグナーを録音しており、そこではオリジナル楽器オーケストラでそのままでロマン派の楽曲に挑む、という大胆な試みをしていましたが、近年のシュトゥットガルト放送響との演奏では、この点のバランス取りが巧みで、新鮮ながらもLCP時代ほどは抵抗感のない、自然な演奏が増えてきているように思われます。
今回のチャイコフスキーも、弦のビブラート排除は徹底されているものの、オーケストラ編成は通常の人数に近いと思われます。ティンパニや金管もソリッドな響きを出してはいますが、古典派の楽曲をやるときのような過激さはなく、一般的な演奏の量感に近いものとなっています。そういった意味で、最も抵抗なく楽しめるのは第1楽章でしょう。苦悩や闘争、激情、爆発といった精神的要素よりも、むしろこの曲の運動性を前面に引き出した爽快な演奏で、透明な響きが耳に心地よく飛び込んできます。
第2、第3楽章は意外と大人しく、弦セクションのノン・ビブラートによる透明感以外は、これといって個性的な部分は見られません。特に第3楽章については、ここを全体のクライマックスに設定する指揮者が多い中で、ノリントンは遅めのテンポで淡泊な表現に終始しており、むしろ第2楽章の延長線上にある間奏曲的な位置付けと考えているようです。個人的には、金管とティンパニを炸裂させまくったお祭り騒ぎ的な演奏を期待していたので、ちょっと肩すかしを食らった感もあります。
しかしそこはノリントン、終楽章はかなりショッキングな出来になっており、オリジナル楽器奏法を駆使したノリントン独自の個性が徹底的に発揮されています。過去の名演群の激しい慟哭とは別世界、異次元とさえいえるような音世界で、弦のノン・ビブラートと剛直な金管パートの織りなす音響は、この世の終末のさらに先を見据えてしまったような虚無感に支配されています。特にクライマックス後の弦の第1主題再現は、旋律をぶつ切りにしてスタッカート気味に奏させており、この部分には度肝を抜かれました。
カップリングは、ラインスドルフ編曲によるワーグナー「パルジファル」組曲。ノリントンは既にLCPとワーグナーの管弦楽曲集を録音していたので、ある程度免疫が付いていましたが、やはり速いテンポとすっきりした音響で、さらりと流れるような音楽作りが印象的です。ただ、テンポは速いものの、間をきっちりとっているため、音楽の流れに無理がなく、意外と素直に聴くことができました。
この組曲版は、ラインスドルフ自身の指揮による録音もあり、そちらでは彼らしい堅実な表現が聴けるものの、オーケストラの響きや録音がやや硬く、個人的には今後この編曲を聴く際はノリントン盤の方をを取り出すことになりそうです。
* Hanssler/CD 93.119
* チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74「悲愴」,ワーグナー(ラインスドルフ編):「パルジファル」より交響的ハイライト
* サー・ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
* 録音:2004年3月10~12日 シュトゥットガルト、リーダーハレ・ベートーヴェンザール(チャイコフスキー),2004年7月10~11日 ルートヴィヒスブルク城音楽祭、テアーターザール(ワーグナー)(いずれもライブ)
by ucc3apde
| 2004-12-10 21:56
| 交響曲/管弦楽曲/協奏曲