2004年 07月 21日
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻/バレンボイム |
正直、これは購入すべきかどうか迷いましたねえ。野心のかたまり、エネルギッシュな行動家、異常なまでに広いレパートリー、こうしたバレンボイムのイメージは、いずれも「バッハを演奏する人」のそれからはかけ離れたものですので…。
とはいえ、輸入盤が比較的廉価(2890円、よく調べたら国内盤もほとんど同価格でしたが…)で出ていたので、ギャンブル気分で(この気分はバレンボイムを聴く際は必須ですな)買ってみました。
まず感想から先に書くと…
「これはいい!」
正直、驚きました。音楽が清流のように滑らか流れていくのに、バッハの音楽がちっともスポイルされていない、心にじわじわと染みこんでくる、こんなバッハ演奏はちょっと聴いたことがありません。バレンボイムのピアノ演奏が絶好調のときに(モーツァルトの協奏曲を弾き振りしているときなどで)感じられる「マジック」が全体に展開されているのです。そう、まるでモーツァルトを聴くかのような滑らかさ(と、ほんの少しのロマン派的表現)をもって、バッハの精神を過不足なく伝えるという、不可能と思えるようなことに彼は成功したのです。
もちろん、そうした「マジック」は、絶妙のテンポ設定(過剰ではないが緩急が付く)、レガートの使用、弱音の多用といった「技」によって生み出されているものであり、これを恣意性ととらえる人がいてもおかしくはありません。おそらく、チェンバロによる演奏を支持している方、グールド・ファンの方などは、この演奏にはかなりの抵抗を感じられるのではないかと思います。実際、それらの「技」は、第1曲のプレリュードから現れるため、最初は少し戸惑いました(3 小節目でとちってるように聴こえる)。前奏曲を聴き終わり、フーガに入る頃にはすっかり慣れるのですけれど。
バレンボイム自身は、ライナーノートの中で今回の演奏について長文を寄稿しており、幼少期に既に平均律全曲を弾いていたこと、父からバッハ演奏の重要性をたたき込まれたこと、ナディア・ブーランジェに師事した際、初レッスンに向かうとピアノの譜面台の上に「平均律」の譜面が置いてあり、「私のためにイ短調を弾いてくれるかしら、坊や」と言われたことなど、興味深いエピソードが並んでいます。また、後世の作曲家への影響として、嬰ハ短調プレリュードとワーグナー、変ホ短調フーガとブルックナーなどの関連性を指摘しています。
演奏内容に関わる部分としては、音楽の3要素の中では、唯一自立し得るものであるから、としてハーモニーが最も重要(メロディやリズムをも支配する)とし、近年の古楽系演奏ではそれがないがしろにされ、「原理主義的」なまでにテンポの問題ばかりが取りざたされていることを指摘しています。いかんせん自分の英語力では100%真意を汲み取れているか自信がないのですが(国内盤を買っておけば良かった…)、テンポに関する文脈の中では"But tempo is not independent! And you do not hear it!"などといった表現も飛び出しており、古楽系の奏者の人が見たら物議を醸しそうな部分もあります。
まあ、現代においてピアノでバッハを弾くという行為に対してももちろんのこと、モーツァルトやベートーヴェンを指揮する際においても、この辺りのことは「現代楽器派」の代表格として意思表明しておく必要があったのでしょうね。今回は、そのアクの強さを、演奏ではなくライナーノートで示したバレンボイムなのでありました。
「バッハはピアノで聴くのが好き」という人、バッハならどんな演奏スタイルでもOK、というタイプの人は、機会があったら一聴をおすすめします。平均律フェチ(筆者のような)の人にはもちろんマストアイテムでしょう。ありがちな意見で嫌だけど、やっぱりバレンボイムはピアノの人なのかなあ…、と思ってしまう1組でした。
■Warner Classics/2564 61553-2(2枚組)
■J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
■ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
■録音:2003年12月27~30日 ベルリン、テルデックス・スタジオ
とはいえ、輸入盤が比較的廉価(2890円、よく調べたら国内盤もほとんど同価格でしたが…)で出ていたので、ギャンブル気分で(この気分はバレンボイムを聴く際は必須ですな)買ってみました。
まず感想から先に書くと…
「これはいい!」
正直、驚きました。音楽が清流のように滑らか流れていくのに、バッハの音楽がちっともスポイルされていない、心にじわじわと染みこんでくる、こんなバッハ演奏はちょっと聴いたことがありません。バレンボイムのピアノ演奏が絶好調のときに(モーツァルトの協奏曲を弾き振りしているときなどで)感じられる「マジック」が全体に展開されているのです。そう、まるでモーツァルトを聴くかのような滑らかさ(と、ほんの少しのロマン派的表現)をもって、バッハの精神を過不足なく伝えるという、不可能と思えるようなことに彼は成功したのです。
もちろん、そうした「マジック」は、絶妙のテンポ設定(過剰ではないが緩急が付く)、レガートの使用、弱音の多用といった「技」によって生み出されているものであり、これを恣意性ととらえる人がいてもおかしくはありません。おそらく、チェンバロによる演奏を支持している方、グールド・ファンの方などは、この演奏にはかなりの抵抗を感じられるのではないかと思います。実際、それらの「技」は、第1曲のプレリュードから現れるため、最初は少し戸惑いました(3 小節目でとちってるように聴こえる)。前奏曲を聴き終わり、フーガに入る頃にはすっかり慣れるのですけれど。
バレンボイム自身は、ライナーノートの中で今回の演奏について長文を寄稿しており、幼少期に既に平均律全曲を弾いていたこと、父からバッハ演奏の重要性をたたき込まれたこと、ナディア・ブーランジェに師事した際、初レッスンに向かうとピアノの譜面台の上に「平均律」の譜面が置いてあり、「私のためにイ短調を弾いてくれるかしら、坊や」と言われたことなど、興味深いエピソードが並んでいます。また、後世の作曲家への影響として、嬰ハ短調プレリュードとワーグナー、変ホ短調フーガとブルックナーなどの関連性を指摘しています。
演奏内容に関わる部分としては、音楽の3要素の中では、唯一自立し得るものであるから、としてハーモニーが最も重要(メロディやリズムをも支配する)とし、近年の古楽系演奏ではそれがないがしろにされ、「原理主義的」なまでにテンポの問題ばかりが取りざたされていることを指摘しています。いかんせん自分の英語力では100%真意を汲み取れているか自信がないのですが(国内盤を買っておけば良かった…)、テンポに関する文脈の中では"But tempo is not independent! And you do not hear it!"などといった表現も飛び出しており、古楽系の奏者の人が見たら物議を醸しそうな部分もあります。
まあ、現代においてピアノでバッハを弾くという行為に対してももちろんのこと、モーツァルトやベートーヴェンを指揮する際においても、この辺りのことは「現代楽器派」の代表格として意思表明しておく必要があったのでしょうね。今回は、そのアクの強さを、演奏ではなくライナーノートで示したバレンボイムなのでありました。
「バッハはピアノで聴くのが好き」という人、バッハならどんな演奏スタイルでもOK、というタイプの人は、機会があったら一聴をおすすめします。平均律フェチ(筆者のような)の人にはもちろんマストアイテムでしょう。ありがちな意見で嫌だけど、やっぱりバレンボイムはピアノの人なのかなあ…、と思ってしまう1組でした。
■Warner Classics/2564 61553-2(2枚組)
■J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
■ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
■録音:2003年12月27~30日 ベルリン、テルデックス・スタジオ
by ucc3apde
| 2004-07-21 23:24
| 器楽曲/室内楽曲